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FOLKSのGANGAN!! 『LIVE!』


パソコンのデータを整理していたら、FOLKSの『Take off』リリースライブのときの画像が出てきた。日付は’13年4月6日。バンドにとって、人生3回目のライブだ。その頃は郁人くんがほぼひとりで宅録で完成させた『Take off』の音源をいかに再現するかを目指す、頭脳派集団みたいな印象だった。禄与くんはパーカッション、ジャンベの他、ギターにエコープレックス、かっち兄ちゃんはリッケンバッカーにテープエコーを使っていて存分にリバーブ感を出していた。レコーディング機材をそのままステージに持ち込んだような感じ。ギター、アコギ、ベース、ドラム、シンセ&プログラミングという基本は今も変わってないけれど、同期が多かったせいか生音は前面に出ていなかった。それでいて禄与くんがカウベルやタンバリンなどの生楽器を叩いていたり、郁人くんは定位置でハンドマイクを持って歌ったりしていた。当時、彼が「Phoenixみたいに立ってるだけでかっこいいバンドになりたい」と言っていたことを思うと、トーマス・マーズを意識していたのかもしれない。日本のバンドとしては画期的なスタイルで、なかなか魅力的だった。けれど残念ながら、あまりお客さんは盛り上がっていなかった。というか、どう盛り上がったらいいのかわからない、という様子。


photo:岡田瑶子 2013.4.6 @Sound Lab mole

それから年末にかけて、ステージの機材は随分と変化する。ジャンベとパーカッションをなくし、サンプリングパッドを導入。パソコンからのシーケンスも減らして全体的にコンパクトにし、出来るだけ自分たちだけで演奏することを目標にした。夏頃、『Good-bye, friends』で郁人くんがフロントでタムを叩くようになったのが、FOLKSのライブ=「躍動感」への大きな一歩となる。彼らがライブを肉体化していくとき「躍動感」を選んだのは、意外でもあり、すごく納得できることでもあった。郁人くんには、とても端正な印象がある。感情があまり表情に表れないし、彼の生み出す音源も緻密で知的な面が際立つ。けれど、実はそこに少し居住まいの悪さを感じていて、スキあらば飛び出したくてうずうずしていそうな横顔をちらりと覗かせるときがある。その衝動は思いの外エッジィだったりするから、バランスを取ろうとしてアンバランスを生む。それがライブでの情熱的で野性的で挑戦的な、程良い毒のあるサウンドやパフォーマンスとなって溢れ出るんじゃないだろうか。彼の音楽の、パーソナリティーの本当のおもしろさは、そのアンバランスなパッションにあると思う。日本にも少なくないキラキラなローファイ・インディーポップ・バンドとは一味違う、グリッターなダイナミズム。そういう音楽をきちんとシャツを着て、ぴかぴかのローファーを履いてやっているところが最高にかっこいい。

その威力を見せつけられたのが、今年8月16日のライジングサンだった。この日はFOLKSにとって、とても重要な日になったんじゃないかと思う。1日でサマーソニック、ライジングサンという巨大夏フェスにダブルヘッダー出演。1曲目『Everything is Alone』の冒頭から郁人くんがタムを打ち鳴らすという攻めのパフォーマンスに始まり、デフガレージはFOLKSのライブ史上最高の盛り上がりを見せた。あらゆるところで打楽器が活躍する、まさに太鼓祭り。自分たちの持ち味を最大限に活かしたアレンジが実現したきっかけは、“危機感”だったという。

郁人「その二週間くらい前にロックインジャパンに出て、このままじゃまずいぞって思ったんです。セットリストも演出も『Replica』で感動させて終了、みたいな感じで新しさがない。俺らがあんまり行きたくない方向に行ってたっていうか。俺らって最初、何がしたくてライブしてたっけ?って振り返ったとき、音楽を構築するおもしろさとか構成の美学とか、とにかく音で感動させたかったんですよ。こんなんじゃ絶対、サマソニとライジング勝てないぞって」

高橋「で、音源じゃなく、ライブでの俺らの武器ってなんだろう?ってみんなで考えて」

なかなか答えが出ない、試行錯誤の日々。16日まで時間はあまりない。アレンジが完成したのは、なんとフェスの前日だった。

禄与「サマソニの2日前に東京行って、ずっとリハに入って。みんなでああしようこうしようってやって『FOREVER』のダンスセクションとか、リハの最後の1時間くらい前に出来たんです」 

郁人「そう、だから本番前に一回しか通せてないんですよ。ライブ作りに熱心になりすぎて(笑)。4日くらい前から手を加えてたんです。でも、作ってる中でもっと良くなる道筋みたいなのが見えるから。そしたら、どんどん必要なものが増えてきちゃって。これで出来るのか?って一回すげぇどんよりした雰囲気になったよね」

野口「やべぇなって思ってたから、『Good-bye, friends』の最後のタムセクションが出来たときはみんなテンション上がった!」

曲が終わったと思ったら、まだ続きがあった!というトリッキーなアレンジのことだ。

郁人「でもそのあとも俺は、やりたいことたくさんあるのに時間ねぇ!って焦ってて。今までないくらい頭フル回転させてベースのとこ行ってギターのとこ行って、みたいな」

そこに禄与くんがストップをかけた。

禄与「このままだったら間に合わなくなってやばくなるって思ったから、“ふーたん、このセクションはこれで完成にしよう”って言ったんです」

郁人「そうしよう、それが賢明な判断だって納得した」

豪利「正直、ライブやるの不安だったよね」

郁人「でも不安でありつつも自分らの中ではこれは勝てるライブだって信じてるわけですよ。すげぇ機材多くてスタッフに迷惑もかけてるし、土壇場で変えて大丈夫なのか?っていうのもあるんだけど、心の奥底では、これが勝てるライブだ!って思ってて」

定着していたセットリストの一部をライブで映える曲に変更し、とにかくビート感の強い、踊れるライブを見据えた。ギターも、シンセさえも打楽器的に使った。

郁人「ひとつのものを尖らせて、それを入り口にFOLKSを知ってもらおうと思ったんです。それが俺らにとってビートだった。尖ってたほうが突き刺さるじゃないですか。それをまず作ってそこから傷口を広げていく、みたいな雰囲気でやっていこうと思ったのが大きな変化でした」


(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL photo:原田直樹

その結果、いつもは比較的おとなしい北海道のオーディエンスが一斉に拳を上げたり、ジャンプしたりしていた。あんな姿、初めて見た。

郁人「そうなんです。それで喜んでもらえるんだ、っていうのがいちばんでかい。いろんなことやっていいんだ、ってことが決定した日だった」

豪利「暴れてるんじゃなくて、本当にのってるっていうのが良かった」

郁人「自分らの楽しさとお客さんの楽しさが、まったく同じだったんです。今まででいちばん楽しかった。歌詞が弱いと言われることがあって、いろいろ考えてたところもあったんだけど。でも、ひとつのところで勝とうって。俺らの何よりも武器になるところでいちばんになる、そう決めました」

あの日から、FOLKSのライブも観客の反応も、確実に変わった。グルーヴがもたらす一体感をみんなが思いっきり楽しめるようになったのだ。これからFOLKSは、また新しい要素を取り入れて転がっていくらしい。どんな姿を見せてくれるのかまるで想像つかないことが、とても嬉しい。
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