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プールって、どうしてこんなに魅力的なんだろう?【おすすめ厳選映画4本!】


プールがたまらなく好きだ。

子どもの頃から、好きだった。あまり泳げなかったけれど、水の冷たさにだんだん馴染んで水圧と同化していくような感じや、家に帰って気だるい身体をソーダ味のアイスキャンディーで潤してから、昼寝する時間は至福だった。きっと多くの人が夏休みに体験した感覚だろう。

体感以上に、視覚としてのプールが好きだ。それを自覚したのは、東京の学校に通っていた10代後半頃だったと思う。夜の山手線の中からぼんやり外を眺めていて、あるとき気づいた。いつも同じ場所で同じように、室内プールの水面がほんの一瞬きらめくことに。キラッと光って胸がヒヤッとして、ゾクッとなる。そこを通過する瞬間をぎゅっと味わいたいから、ひとりがいい。きっと誰もその光景を気に留めていなかっただろうし、誰かと共有したくなかった。わたしだけの秘密で、喜びであることが大事なのだ。

映像やアート作品で、プールを効果的に扱うケースは少なくない。印象的なプールのシーンがあるだけで、好きになってしまうことも。ただ、好みははっきりしている。プールがメインのもの、セレブ風なもの、陽気なパーティ・ピープル的なもの、ゆるりとした時間が流れるタイプのものにはグッとこない。プールにいるのは、ひとりかふたり。ごく普通の内装で密室的で、そこでの心の動きに、ほかの登場人物は気づいていない。短いシーンだけれど、作品にとって重要な何かを示唆している、というのが最高にしびれる。



例えば、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の『トリコロール/青の愛』。不慮の事故で愛する夫と娘を同時に亡くしたジュリー(ジュリエット・ビノシュ)は、つらい記憶と決別するためにすべての財産を処分し、パリでひとり暮らしを始める。けれど、絶望と喪失感はどこまでも追ってくる。序盤では人との温かな接触を避け、底なしの孤独に支配された彼女の心情を、さまざまな「青」が静かに繊細に物語る。そのなかのひとつに市民プールの暗闇に沈み、思いを振り切るように泳ぐも自己と向き合ってしまう(ように見える)ジュリーの姿がある。

【トリコロール/青の愛(‘93)】


キェシロフスキはフランス国旗を構成する「青」を自由の象徴と捉え、本作も「(過去の)愛からの自由」がテーマになっている。緻密で詩情あふれる象徴的表現の素晴らしさ、代表作で何本かタッグを組んだ撮影監督のスワヴォミール・イジャック(『ガタカ』なども手掛けている)独特のフィルターを多用した映像も、ため息が出るほど美しい。幾つかの出会いによって、ジュリーはすこしずつ解放され、自由を手にしていくのだけど、そのための自己対峙の場としてプールでの時間があったことに、ふと気づく。



さらに意図的に、踏み込んでプールシーンを使用した作品として思い浮かぶのが、マイケル・ウィンターボトム監督の『アイ ウォント ユー』だ。美容院を経営する主人公ヘレン(レイチェル・ワイズ)のもとに、彼女の父親を殺害した罪で服役していた元恋人マーティン(アレッサンドロ・ニヴォラ)が9年ぶりに現れる。妖艶な美貌をもち、人気DJの恋人もいるヘレンの生活は、彼の登場により不穏なものへと一変する。心は拒絶するにも関わらず、身体は抵抗できないヘレンは混乱し、自分に恋をする口のきけない難民の少年ホンダ(ルカ・ペトロシック)を気まぐれに心の拠りどころとしてしまう。ホンダにはスモーキー(ラビナ・ミテフスカ)という姉がいるのだけど、彼女はマーティンの影に共鳴していて、それぞれの関係性は複雑に絡み合っていく。

【アイ ウォント ユー(‘98)】


ヘレンがかつて父親と住んでいた屋敷にはプールがあり、彼女は頻繁にそこで泳いでいるようだ。劇中では3回、プールのシーンが登場する。1回目はマーティンが帰ってくる前。自由と解放を想起させる気持ち良さそうなシーン。2回目は、突然家にやってきたマーティンとの衝動的な情事のあと。罪の自覚と浄化のためだろうか。3回目はラスト近く。マーティンから逃れ、ホンダと楽しく遊ぶ少女のような姿。このあと、最悪な結末が待っていようとは……。夜のプールは、海の底の静けさに似ている。9年前の夜、波止場で海に投げ捨てられた父親の残像は、いつどんなときも、彼女にまとわりついて離れなかっただろう。
タイトルはエルヴィス・コステロの同名曲からとられ、マーティンの 「欲望」のBGMとして何度も流れる。そのやるせなさとエロティシズムは、むんむんと匂い立つよう。撮影は『青の愛』と同じくスワヴォミール・イジャック。陽炎のように揺らめく仄暗い映像美も、たっぷり堪能できる。



イエジー・スコリモフスキ監督のカルト的青春映画『早春』は、より核心的にプールの持ち味を活かした名作。 ロンドンの公衆浴場に就職した15歳のマイク(ジョン・モルダー=ブラウン)は、そこで働く美しい年上女性スーザン(ジェーン・アッシャー)に一目ぼれ。婚約者がいながらほかの男性とも関係をもち、マイクにも好意的なスーザンの奔放さを知るうち、彼女ヘの興味は執着へと変わり、行動は次第にエスカレートしていく。その舞台が公衆浴場に併設されたプールという閉ざされた空間。水中にひとりぼっちでパネルのスーザンを抱き、甘い欲望に酔いしれていた彼が、同じ場所でふたりきりになったとき……。

【早春 DEEP END(‘70)】


15歳といえば、恋愛と性的欲望の境目がわかりにくい年頃。夢も希望もなく、女性の扱いも知らないマイク少年は、痛々しいまでのエネルギーで爆走するのだけど、ぼんやりしたお坊ちゃん顔が恋に囚われて生き生きと躍動し出すさまは痛快ですらある。スーザン役のジェーン・アッシャーはポール・マッカートニーの元恋人としても有名な女性で、マイクが虜になるのも頷けるチャーミングさ。細部にまで行き届いた伏線、前衛的で粋な画づくり。キャット・スティーヴンス(ユスフ・イスラム)とCANの音楽もめちゃくちゃハマっていて、寝苦しい夜に観たならもっと眠れなくなりそうな興奮と衝撃がある。



数ある名プールシーンの中でも、「ぜんぶ」が詰まっている究極の映画がジャコ・ヴァン・ドルマル監督の『ミスター・ノーバディ』。SFでも人間ドラマでも恋愛ものでもあり、どの角度から観ても見事な完成度にも関わらず、あまり知られていないようなのが不思議。2092年、医学の進歩により誰もが不老不死となった世の中で、118歳のニモ(ジャレッド・レト)は世界で最後の命に限りある人間だ。老衰により間もなく生涯を終えようとしているニモは、自分の過去を回想していくのだけど、彼の語る話は矛盾だらけで、幾つもの人生を生きてきたよう。果たしてニモの真実の人生とは……? おおまかに言うと、ニモが幼い頃近所に住んでいた3人の少女、アンナ、エリース、ジーンのすべてと付き合い、結婚し、そのときどきのエピソードが幾重にもねじれて重なっていく。様々な考察のできる作品なのだけど、「ニモは誰をいちばん愛していたか?」に焦点を絞ると、答えは簡単。アンナだ。
9歳のニモがアンナに心を打ち抜かれた、そのときのぜんぶがプールでの数分間のシーンに凝縮されている。

【ミスター・ノーバディ(‘09)】


オーティス・レディングの『FOR YOUR PRECIOUS LOVE』をバックに、弱虫でカナヅチのニモが飛び込み台から軽々と水中に吸い込まれていく勇敢な美少女アンナをこっそり見つめている。遠くから見つめ返す、アンナの無垢な瞳。気づいて動揺と高鳴りを隠せないニモ。言葉はない。周囲にもたくさんのクラスメイトがいる。でも、そこは紛れもない「ふたりだけの世界」だ。アンナに憧れ、すこしでも追いつきたいと無茶をするニモ。その関係性は、この後の成長したふたりにも引き継がれる。そして、迷宮のように入り組んだストーリーの最後に、(現実はどうあれ)アンナを愛し続けた人生だったのでは、ということが明かされる。プールのシーンは137分ある本編のうちのわずかな時間でしかない。けれど普遍的な切ないときめきに満ちて、狂おしいほどに愛おしく、その推測に説得力をもたせるのに充分すぎる数分間なのだ。とにかくアンナがプールに飛び込む瞬間の構図が秀逸で、永遠に閉じ込めてしまいたい!

プールって、どうしてこんなに魅力的なんだろう? 今なら、はっきりわかる。変わり映えのしない、ときに残酷なニュースが飛び交う日常のなかで、ひとときの、誰にも侵されない、澄み切ったちいさな聖域となるからだ。